ハプスブルクの悲劇

昨日の、よみうりカルチャー横浜「西洋史を学ぶ」のテーマは、ハプスブルクの悲劇でした。
栄華を誇ったハプスブルク家を襲う死の影。
ミュージカル『エリザベート 』では、終盤の悪夢の場面です。

オーストリア帝国が、オーストリア=ハンガリー二重帝国に変貌した頃、皇帝プランツ=ヨーゼフの弟マクシミリアン大公は、兄と同等の皇帝の座を得ようとメキシコへ向かいました。
しかし、マクシミリアンを待っていたのは保守派ばかりではなく、多数の共和派もいたのです。
1868年、僅か3年余りでマクシミリアンの夢は潰えました。


マクシミリアンの死で、すっかり気力を無くした母ゾフィーは、その5年後の1872年に肺炎で死去。
最後を看取ったのはエリザベート でした。

エリザベート の従兄弟の子、バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、1886年に崩御しますが、死の真相は未だ謎に包まれています。

オーストリア皇太子ルドルフがマイヤーリンクでマリー・ヴェッツェラと心中したのは1889年。
事件当時から暗殺説もありました。

ルートヴィヒ2世と婚約していたことのある、エリザベート の末妹ゾフィー=シャルロッテは、1897年に慈善イベントの大火災で、少女たちを先に救助させて焼死しています。

そして、皇妃エリザベート の暗殺。
1898年9月10日、ジュネーヴを発とうと船に向かう途中の出来事でした。
フランツ=ヨーゼフの悲しみは、どれほど深かったことか。

次回はウィーンの世紀末文化がテーマです。
リングシュトラーゼと、それに伴う都市開発。
そこに誕生する新しい文化。
旧態依然とした帝国が直面する新時代を辿ります。



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