ウィーン世紀末と万国博覧会

よみうりカルチャー横浜「西洋史を読み解く」

昨日は世紀末のウィーンでした。


1858年から始まったウィーンの環状道路、リングシュトラーセの周辺には国会議事堂、市庁舎、王宮歌劇場、美術史博物館と自然史博物館などの公共施設と、貴族や富裕層の邸宅が建設されます。

これらの建物は、ヘレニズム様式、ゴシック様式、バロック様式などを模した歴史主義建築の建物でした。

この建築群は世紀末のウィーンで活躍した建築家たちの作品です。


ウィーンでは画家のクリムト、エゴン・シーレ、ココシュカ、音楽家のマーラー、シュタルンベルクなど世紀末を彩った芸術家がいました。

ウィーン世紀末は、アール・ヌーボーやアール・デコへと続く芸術・文化の先駆けといえるでしょう。


1873年5月1日にはウィーン万国博覧会が開会します。

ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカから35か国が出展し、各国の王が訪れるオーストリアの威信を知らしめるイベントになるはずでしたが、9日に証券取引所の暴落が起こり、会期中にコレラが流行しました。

そのため725万人の観客を見込んでいましたが、640万人に留まり、万国博覧会の赤字は1500万グルテン(現在の日本円で4000万円前後)に上ってしまいます。


ウィーン万国博覧会には初めて日本が公式に参加しました。

岩倉使節団が訪問したことも知られています。


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