前年、1789年のバスティーユ襲撃後、8月26日に「人権宣言」採択、10月5日から6日にはヴェルサイユ行進が起こり、詰めかけた市民の「国王をパリへ!」の声に、国王一家はテュイルリー宮殿に居を移さざるを得ませんでした。
11月2日に教会財産の国有化が宣言され、12月22日に地方自治法が決まり、1790年1月15日にフランスは83の県に分けられて地方自治がなされるようになります。
6月19日に貴族の称号が廃止、7月12日には聖職者民事基本法が採択され、カトリック教会と革命の対立を生むことになりました。
そのような中での全国連盟祭は、アメリカ独立戦争に参加し、両大陸の英雄と謳われたパリ国民衛兵隊司令官ラファイエットの提唱によるものです。
当日は雨の中、30万人もの人が集まり、後にナポレオン帝政時代から王政復古まで政治家・外交官として名を馳せるタレーランがミサを上げ、ラファイエットが”国家、法、国王へ”の忠誠を誓い、最後に国王ルイ16世が”国民と憲法”に忠誠を誓いました。
王太子ルイ=シャルルを抱いた王妃マリー=アントワネットの心中は、どのようなものだったでしょう。
この日、参加していた人々は、革命歌を歌い、踊り、革命が終わって平和が訪れたことを祝いました。
翌年にヴァレンヌ逃亡事件で国王への信頼が失われ、英雄であったラファイエットがシャン・ド・マルスの虐殺で失墜するとは想像もできなかったことでしょう。
7月14日は、「ベルサイユのばら」ファンにとっては、オスカルが亡くなった日です。
前日、テュイルリーで命を落としたアンドレを追うように死に向かうオスカルに、マンガで、アニメで、宝塚歌劇で、涙した人は多いでしょう。
自由・・・
平等・・・
友愛・・・
この崇高なる理想の
永遠に人類のかたき礎たらんことを・・・
『ベルサイユのばら』より
オスカルはワインを好みますが、私は”ベルサイユのばらサイダー”で、オスカルとアンドレを偲びます。
フランス革命記念日は、フランスでは”Le Quatorze Juillet”(7月14日)と呼ばれ、正式には”Fête nationale française”(フランス国民祭)で、祝日に制定されたのは1880年。
日本では”パリ祭”といわれますが、これは1933年、ルネ・クレマン監督のフランス映画「Quatorze Juillet」が、日本で「巴里祭」のタイトルで公開されたためです。
なお、1790年の全国連盟祭で謳われた革命歌は「La Carmagnole(ラ・カルマニョール)」、「Ah ! ça ira(ア・サ・イラ)」で、「La Marseillaise(ラ・マルセイエーズ)」ではありません。
「La Marseillaise(ラ・マルセイエーズ)」は、連盟祭の翌年、1792年4月20日にフランスがオーストリアに宣戦布告して勃発したフランス革命戦争に際し、士気高揚のために作られたもので、1795年7月14日に国歌として採用されました。
0コメント