今日は、よみうりカルチャー横浜10月期「革命後のフランス」初回でした。
テルミドール9日のクーデターで恐怖政治は終息を迎え、フランスは新たな政治体制を模索する時代に突入しました。今回は、総裁政府から統領政府への移行と、その過程で台頭したナポレオン・ボナパルトの役割について掘り下げました。
1795年に成立した総裁政府(Directoire)は、フランス革命によって打倒された恐怖政治の後を引き継ぐ形で始まります。
テルミドール派が中心となった体制は、5人の総裁からなる指導層と、それを補佐する二院制議会によって構成されていました。総裁政府は、極端な集権を避け、権力の分散を図ることで独裁を防ごうとしましたが、経済の不安定さと国内外での政治的混乱に苦しみます。
元々、政治的な志向に相違がある各総裁間の権力闘争も絶えず、私腹を肥やす者もいて、国民の支持は薄れていきました。
そこに起きるのが王党派によるヴァンデミエール13日のクーデターです。国内軍総司令官ポール・バラスが副官に任命したのが若きナポレオン・ボナパルト。
ナポレオン・ボナパルトは、総裁政府下で軍人としての頭角を現し、イタリア戦役(1796-1797年)での成功を通じて国民的英雄としての地位を確立しました。彼は優れた軍事戦略家であると同時に、自らの魅力と才能を利用して政治的野心を広げていきます。1799年、彼は総裁政府の機能不全を利用し、ブリュメール18日のクーデターを起こして権力を掌握しました。
クーデターの後、ナポレオンは新たな政府体制として統領政府(Consulat)を設立しました。この新政権では、3人の統領が置かれましたが、実際にはナポレオンが第一統領として圧倒的な権力を掌握します。彼は統領政府の下で、行政改革を進めるとともに、国内の秩序と安定を取り戻そうとしました。また、彼のもとでフランス経済は復興し、国民からの支持も急速に拡大していきました。
統領政府は、ナポレオンがさらなる権力を得るための一歩に過ぎませんでした。彼は統領政府の中央集権的な特徴を活かして、フランス全土に強力な統治体制を確立していきます。彼のリーダーシップにより、フランスは短期間で再び強国としての地位を確立しましたが、同時にその権力集中が新たな専制政治への道を切り開くことにもなりました。
ナポレオン・ボナパルトは革命後のフランスの混乱期に、その才覚を持ってしてフランスの指導者へと上り詰め、フランスだけでなくヨーロッパ全体の政治地図を変える存在となりました。
次回の講義ではナポレオンが統領政府から皇帝に即位し、フランスがどのように進んでいくのかについて探っていきます。
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