ルイ16世とオルレアン公

日本工業大学オープンカレッジ 公開講座 近世歴史考教室「フランス革命を懸命に生きた人々」
昨日、第3回のテーマは【真実と陰謀】
ルイ16世の宮廷とオルレアン公のパレ・ロワイヤルでした。

愚鈍、優柔不断、鈍感、怠惰、凡庸…
ルイ16世は、かなり誤解されて伝えられている人物だと思います。
知的で歴史に造詣が深く、理数系、語学に通じ、身長190cmの痩せ型。
結婚式の夜、旺盛な食欲をみせたというのも後に作られた話のようです。
肥満気味になったのは中年以降。

兄ブルゴーニュ公を亡くし、両親を亡くし、突然、王太子になってしまった少年ベリー公(ルイ16世)は、兄ではなく自分がいなくなればよかったと考えます。
教育係のマルサン夫人が可愛がるのは、ベリー公へのライバル意識が強烈な弟プロヴァンス伯爵と、やんちゃで愛嬌のあるアルトワ伯爵で、口下手で俯き加減のベリー公を理解したのは家庭教師と、祖父ルイ15世でした。
傅育官のヴォーギュイヨン侯爵は、ベリー公にあまり良い影響を与えていなかったので、結婚後もアントワネットと上手に関係を築くことができず、“かわいそうな人”と呼ばれてしまいます。

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一方、オルレアン公は享楽的で浪費家。
国土の5%を領地に持つ資産家でありながら、居城のパレ・ロワイヤルを抵当にしていました。
そのため、パレ・ロワイヤルの周囲にに貸しテナントを建てて、歓楽街を作り出します。
警察が介入できない歓楽街は無法地帯となり、王家に批判的な人々が集まるようになりました。

しかし、ブルボン家を廃して王位を狙うオルレアン公と、王家そのものを倒して共和制を打ち立てたい革命家の思惑は利害が一致するはずもなかったのです。

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不器用で実直な王と、器用で遊び上手な従兄。
革命勃発後、二人の立場は逆転したかに見えますが、同じように断頭台の露と消える運命でした。

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200年以上の時を経て、新たに見直しをされているルイ16世。


今回は、この本も参考資料の一つで、もう一冊。



タンプル塔で最後にルイ16世を見送った従僕クレリー、王の贖罪司祭フィルモン神父、一人生き残った王女マリー=テレーズの手記も参考資料としました。

次回は、自分の才能と感性で人生を切り開いた人たちを取り上げます。


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