8月23日は、ルイ16世陛下の誕生日。
今年は生誕270年目にあたります。
1754年に生まれた後のルイ16世、ベリー公ルイ=オーギュスト(1754.8.23~1793.1.21)は、王太子ルイ=フェルディナン(1729.9.4~1765.12.20)の三男で、誕生した当初は国王になる未来を考えていませんでした。
次男のアキテーヌ公グザヴィエ=マリー=ジョゼフ(1753.9.8~1754.2.22)は生後1歳に満たず逝去していましたが、長男のブルゴーニュ公ルイ=ジョゼフ=グザヴィエ(1751.9.13~1761.3.22)は利発で美しく、周囲の期待を一心に集める王子。
対して三男のルイ=オーギュストは大人しく、当意即妙なところがなく、俯きがちの王子でした。
動作も不器用なため、愚鈍な子供と思われてしまいます。
父と母は相次いで病死、さらに侍従の不注意で怪我を負ったルイ=ジョゼフが9歳で亡くなり、ルイ=オーギュストは6歳で王太子になりました。
ただ、祖父ルイ15世(1710.2.15~1774.5.10)は、王太子になったルイ=オーギュストにフランスの統治者としての教育をしなかったため、ルイ15世の崩御後19歳で国王になったルイ16世はモールパ伯爵(1701.7.9~1781.11.21)をアドバイザーに選びます。
この人選を失敗とする向きがあるのは、高等法院を復活させたことが最も大きな理由でしょう。
王妃マリー=アントワネットと対照的に華やかな場が苦手なルイ16世は狩り、、錠前づくりの趣味のほか、宮殿の屋根に上ったり、気軽に使用人に話しかけたり、期待される威厳ある国王像とは違う飾り気のない王でした。
大革命を乗り切ることができなかったルイ16世は無能、愚鈍などと評されますが、革命を乗り切れるほどの国王はいなかっただろうといわれます。
優柔不断はルイ16世の欠点ですが、自尊感情が低いまま大人になり、自信を持てなかったことも原因だと考えられるでしょう。
家庭的には善き父、良き夫だったルイ16世。
近年、ルイ16世が見直され、評価が変わっているのは喜ばしいことです。
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