2021.07.26 09:30マリー・アントワネットのスタイルマリー・アントワネットのファッションは、今も多くのインスピレーションを与えています。オーストリアからフランスに来た時は、まだ14歳の少女でしたが美意識は優れたものがあり、私室の装飾や調度品の選択は確かなものでした。その感性が生かされた一つはプティ・トリアノン。ルイ16世から贈られたブーケは、アントワネットの手によって見事に花開き、ロココの美と新古典主義の美を今に伝えています。もう一つ、アントワネットのセンスが素晴らしいのはファッション。豪華な盛装も美しいのですが、マリー・アントワネットが好んだのは、デザインも素材も簡素で軽快なものです。赤字夫人などと揶揄されていますが、アントワネットが使ったのは王室歳費のごく一部。アントワネットの宝石やローブだけで国が...
2021.07.26 07:00明日は第二回明日は「フランスに嫁いだ二人の皇女 〜マリー・アントワネットとマリー・ルイーズ〜」第二回。マリー・アントワネットの華やかなヴェルサイユ時代です。オーストリア大公女マリア・アントーニアからフランス王太子妃マリー・アントワネットへ、そしてフランス王妃になる前半生は、麗しくも痛々しくもあります。
2021.07.24 09:37ロココのオリエンタル好み18世紀、日本や中国の工芸品や食器などが、ジャポネ、シノワズリーと呼ばれ、貴族に好まれていました。オリエンタルな雰囲気はエキゾティックで、遠く東洋の国々への憧れを抱かせたのでしょう。ヨーロッパの文化とオリエンタルの文化が融合して生まれた小物や家具は、今日でも新鮮で、異国の風を感じます。日本の蒔絵、螺鈿は、マリー=アントワネットや、その母マリア=テレジアが愛し、コレクションしています。
2021.07.23 02:58ルイ16世の善政ルイ16世というと優柔不断、愚鈍、オタクなどのイメージを持っている方が多いでしょう。しかし、ルイ16世は頭脳明晰で語学堪能、特に物理、科学、地理、歴史には博学で、よく知られていることですが、ギロチンの刃を斜めにした方が良いとアドバイスしたのもルイ16世です。フランス革命を上手く終息に導くことができなかったのが、ルイ16世の評価を下げたと思われますが、革命勃発前の治世は善政といえるものでした。革命勃発の要因の一つにフランスの財政難がありますが、最初に経済立て直しを図ったのはルイ16世。他にも、残虐に行われていた刑罰を人道的にしたこと、寛容令でカトリック以外の教義の人にも戸籍を与えたこと、小麦の不作に備えてジャガイモの普及に務めたのもルイ16世です。アメリ...
2021.07.20 10:31マリー・アントワネットと香りマリー・アントワネットというと、『ベルサイユのばら』のイメージからか、薔薇が連想されることが多いように思います。もちろん薔薇の香りは、とても好んでいたようで、ローズウォーターや入浴用のサシェなどを愛用していました。アントワネットに香水、化粧品、香り付手袋などを調香していた一人が、ジャン=ルイ・ファージョンです。ファージョンに1781年の初夏に依頼した品に、「プチ・トリアノンを香水瓶に閉じ込めたような」香りと、「男らしくエレガントで威張ったところのない男性」へ捧げる香りがあります。この逸話は、2012年宝塚歌劇団星組公演『ジャン・ルイ・ファージョン ー王妃の調香師ー』にも描かれていました。アントワネットは、愛したプチ・トリアノンに8年後に別れを告げること...
2021.07.18 11:00マリー・アントワネットとお茶マリー・アントワネットの母国オーストリアに紅茶が伝わったのは17世紀中頃。フランスに伝わったのは18世紀初めなので、マリー・アントワネットも紅茶を飲んでいたと思いますが、アントワネット自身が好んで飲んでいたのはミネラルウォーター。この頃は、『ベルサイユのばら』でオスカルがチョコレートやワインを好んでいたように、現在ほど紅茶は一般的に飲まれてはいなかったようです。しかし、現在、マリー・アントワネットの名を冠した紅茶は、いろいろなブティックに見られます。ポピュラーなブランドは、LaduresとNINA'Sでしょう。1862年創業のLaduresは、直営店のオープンが発表されました。”ジャルダン・マリー・アントワネット”は、洋梨や薔薇が香るブレンド・ティーで...
2021.07.18 07:22マリー・アントワネットとコカルド1789年7月17日、マリー・アントワネットは、おそらく初めて間近でコカルド(三色の帽章)を見ました。この日は、ルイ16世が国民議会の要求を受け入れ、パリを訪問したのです。国王は帰れないことを覚悟し、ヴェルサイユを発つ前に、弟のプロヴァンス伯爵(後のルイ18世)を国王代理官に任命しています。国民の良き国王であることを願っていたルイ16世は、この日、突きつけられた要求を拒否することはありませんでした。それが、王室や王党派をさらなる困難に陥れると分るのは、もう少し後のことになります。共和国のシンボル、コカルドを身につけて帰った国王に、アントワネットは「わたくし、平民と結婚したとは存じませんでした」と言ったそうです。ルイ16世が戻るまで不安におののき、国王が...
2021.07.17 11:25マリー・アントワネットの弟君マリー・アントワネットは16人兄姉弟の下から2番目。成人した姉だけでも6人、成人した兄は3人です。アントワネットの下には1歳違いの弟がいます。後に、太っちょフランツとあだ名が付いたマクシミリアン・フランツ大公。フランツ大公は28歳でケルン大司教になりました。文化・芸術への理解が深く、ボンのアカデミーを大学にしたのも、ボンに国民劇場を創設したのもフランツ大公です。音楽を好み、モーツァルトをケルンの宮廷楽士に希望しましたが、これは母のマリア・テレジアに反対されて潰えました。後にベートーヴェンを支援していますが、もう一人、ベートーヴェンを支援した大公は、アントワネットとマクシミリアン・フランツ大公の甥、皇帝レオポルト2世の末子ルドルフ大公です。ルドルフ大公が...
2021.07.16 08:30夏休み前の今日は、夏休み前の最終授業でした。今年は年間スケジュールを、東京オリンピック開催に合わせているので、例年と違う夏休み期間。緊急事態宣言中でもあり、特に卒業年次の学年は、学生最後の夏休みを満喫できない、可哀想なことになりました。
2021.07.13 20:30フランス革命記念日7月14日は、フランス革命記念日。パスティーユ襲撃から1年後の、1790年7月14日に開催された全国連盟祭に由来します。全国連盟祭は、シャン・ド・マルス公園が会場でした。身分を問わず多くの人々が会場準備に関わり、貴族も市民も共に土を運び整地しました。その数、15万人といわれます。前年、1789年のバスティーユ襲撃後、8月26日に「人権宣言」採択、10月5日から6日にはヴェルサイユ行進が起こり、詰めかけた市民の「国王をパリへ!」の声に、国王一家はテュイルリー宮殿に居を移さざるを得ませんでした。11月2日に教会財産の国有化が宣言され、12月22日に地方自治法が決まり、1790年1月15日にフランスは83の県に分けられて地方自治がなされるようになります。6月...
2021.07.13 10:00『フランスに嫁いだ二人の皇女』第1回「よみうりカルチャー恵比寿」で『フランスに嫁いだ二人の皇女~マリー・アントワネットとマリー・ルイーズ~』第1回開講しました。初回は、ハプスブルク家の皇女が、なぜフランス王妃、フランス帝妃になるのか、ハプスブルク家の歴史とヨーロッパ周辺諸国との関係がテーマ。
2021.07.11 15:45明日から開講明日、7月13日より『フランスに嫁いだ二人の皇女~マリー・アントワネットとマリー・ルイーズ~』開講します。初回のテーマは「ハプスブルク家とフランス」緊急事態宣言の中ですが、感染防止対策をしてお待ちしています。センターでお会いするのが楽しみです。